私の小学生時代

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人生

こんにちは! 薬剤師のタコP🐙です。お薬のお話と40代から始まった3歳になる娘の子育てについて書いています。

これまでの私の人生を振り返り、これからの生活をよりよくするために人生の整理を一度行ってみたいと思います。

実は、私は塾に通わないで、中学受験に挑戦し、私立中学に通っています。今の時代にそのような方はなかなか、いらっしゃらないと思いますが、なぜ、受験できたのか、そろばん、公文式、得意だった国語、小学校の担任の先生からの信頼…など、少しでも子育てに役立つことがあれば、幸いです。

私は年の離れた妹と2人兄弟で、小さなころは一人っ子でした。そのため、小さなころは、いつも自分の好きなようにできて、マイペースな子でした。今日は、幼稚園時代から中学受験までのことをお話したいと思います。

幼稚園まで

私は両親が自営業でしたが、保育園ではなく、幼稚園に行っていました。小さい頃から、朝起きるのが苦手で、幼稚園がバス送迎をしてくれていましたが、ほとんど乗ることができず、よく両親に送って行ってもらっていました。

送ってもらっていることを同じクラスの園児に責められ、大きな顔をしていられなかったこともあって、幼稚園での一日のルーティンである外遊びや昼寝の時間でも、部屋の端で本を読んでいた記憶があります。

小学校入学してから

小学校に入学してからも朝が起きられないのはあまり変わらず、通学に子供の足で40分かかることもあり、自転車で途中まで行って止めて置けるところまで走り、そこから歩くような事もしていましたし、学校まで親に送ってもらう日もありました。

今ならそのような小学生も時々いるかもしれませんが、当時は、通学路を自分の足で歩くことが絶対と教えられていましたし、途中まで自転車で行ったり、親に送ってもらうことはありえないことで、同級生に見つかって、先生から注意されることもありました。

ただ、自分が40代になって思うことは、ルールを教えることは、大切だけれど、小学生の間は、体も小さく、分かっていてもできないこともあるので、少々のことは、許してあげてほしいと思うのです。

学校からの帰宅時の事件

ある時、学校からの帰りに、悪い同級生がふざけて泥のたまった小さな川に私を突き落としました。私は全身が汚れてしまいました。家まではしばらく距離があります。そのクラスメートはやりすぎたと思ったのか、近くに井戸があり、そこに行って体を洗おうと言いました。そこで体を洗い、服は濡れたままですが、なんとか帰ることはできると思いました。しかし、歩き始めてしばらくすると知らないおじさんが怒ってこちらに来ました!!!

井戸を汚したのはおまえらか!!

その井戸は近所の人が掃除をして地元の資産としてきれいに保っていた井戸だったのです。その頃は監視カメラはなかったので、誰かが体を洗っている小学生を見かけたのでしょう。この同級生が余計なことをしなければ、井戸を汚すこともなかったのですが、井戸が汚れたことは確かなので、謝るしかありませんでした。もし、大人であれば掃除代を弁償しなければならないところでした。

「お兄ちゃん」の死

私は習い事として、珠算、公文式、個人の英語教室に行っていました。通っていた英語教室は、同じ小学校の生徒がほとんどでしたが、その中で2学年ほど年上の子がいました。その子は生まれつき心臓が弱かったようで、心臓の手術をしていました。その子は私にも手術の跡を見せてくれてそのような病気があるにも関わらず、むしろ大変な手術に耐えてきたのだという誇りを持っているようでした。

しかしその数年後、その子は亡くなったと聞きました。まだ中学生でした。その時は、もう英語教室には通っていなかったので、詳しいことはわかりませんが、死というのが全然身近ではなく、祖父母と同居していたわけでもない私にとって、子供心に死ぬのは年寄りだけだと思っていたので、不思議な気持ちになった出来事がありました。

習い事

両親の仕事が忙しかったので習い事をしていたようなところはありますが、習い事は小学校2年生から5年生ごろまでしていました。朝、遅刻ギリギリのところで行っていた学校とは違い、習い事へは、時間に遅れずに自分で通っていました。朝ではないのがいいのかもしれません。

英語教室はあまり興味がなかったけれど、珠算と公文式(算数、国語)は練習すればするだけ、上手になり、学年に関係なくできるようになれば、難しいランクにステップアップできるのが快感になり、年上の人たちを追い越していくのに、とてもやりがいがありました。この後の人生で、英語に苦労することになったので、英語教室ももう少し楽しく継続できていればと思う所があります。

珠算は夏休みに合宿と大会があって、旅行感覚で楽しんでいました。珠算は教室から帰って来てからも、NHKのそろばん教室のラジオを聴きながら、そろばんをしていたくらい好きでした。公文式も成績優秀者として、表彰式に出席したこともあります。

中学受験はどうする?

英語教室は1年程でやめてしまいましたが、珠算、公文式ともに目標としていたところまで達成ができたし、高学年になって、学校の帰宅時間が遅くなってきたため、終わりにしました。

このころ、地元の公立中学校が荒れていた時代で、学校の敷地内にタバコの吸い殻がたくさん落ちていたそうです。通っていた小学校でもいじめが問題になっていました。

年の離れた妹がいるものの、長い間一人っ子の温室育ちで、このまま地元の公立中学校に進学させるのは本人が大変だろうと思ったのか、両親は私立の中学校を小学生の私に紹介してきました。

私立中学の入学試験に合格するためには、塾に行かなければなりません。塾に5年生から入ったのですが、休みたい日曜日にずっと塾に缶詰めになるのがだんだん苦痛になってきて、半年もしないうちにやめてしまいました。そして、中学受験向けの参考書を買って、自分で勉強することになったのです!

今思えばとんでもないことだと思います。今なら中学受験する小学生は3年生や4年生から通塾して(早い人は1,2年生から行っていますね!)やっと志望校に合格するかどうかなのに、日曜日は遊びたいというわけではないのですが、朝早く起きて塾に行くということがどうしてもできませんでした。

塾に行くメリットは、受験に合格できる知識を教えてもらうだけではなく、仲間との情報交換できる環境を提供してくれる場であり、合格へのモチベーションを保つ意味で大事であると思います。

受験本番の日

小学校生活を楽しみ、当時の担任から信頼され、授業中についていけない子のフォローを頼まれたりしました。結局塾には通わず、そのまま中学受験をすることになりました。

小学校6年生の年が明け、すぐ1月に受験本番を迎えました。試験会場では同級生も何人かいました。仲の良かった友達ばかりでした。普段学校で会う時は、不思議と受験の話はしませんでした。自分は塾にいっていなかったので、友達が受験しようとしていることは、全く知りませんでした。試験会場に行って初めて、「あの子も受験するんだー」と知りました。

筆記テストと面接がありました。塾に行っていれば面接対策もばっちりしてくれますが、確か、練習もしないで臨んだと思うので、受け答えもうまくいっていなかったように記憶しています。将来なりたい職業を聞かれ、弁護士と答えると、なぜ弁護士なのか、と聞かれましたが、答えられませんでした。

小学生時代は国語が得意で、国語を生かして?、いや、なんとなくのあこがれでしかなかったのかもしれません。そして、数日後、試験の結果が郵送されてきて、不合格だったのでした…

次回に続く

今回の記事が読者の皆さんのお役に立てれば幸いです。

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タコPのお薬のお話、40代からの子育て。

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