私の中学生時代

記事内に広告を含む場合があります

人生

こんにちは! 薬剤師のタコP🐙です。お薬のお話と40代から始まった3歳になる娘の子育てについて書いています。

前回は、通塾なしで県で一番の私立中学の受験に望んだ話でした。

今回は、塾に通っていなかったにもかかわらず、私立中学に補欠合格という形で合格できた話です。

中学受験不合格通知を受けてから

受験した学校からの不合格通知を受けた後、その学校1校しか受けていなかったため、公立中学に行くことになりました。通塾していれば、受験校が1校しか受けないなんて、ありえないと思います。

小学校の同級生に仲の良い友達もたくさんいましたので、両親から、公立中学校が荒れていると聞いてはいても、自分自身は特に公立に行くことに抵抗はありませんでした。

中学受験する子たちは受験勉強をし始めたら友達と遊ぶことも断り、受験が近づくと、学校を休んで勉強することも多いそうですが、私は塾にも行っていなかったこともあり、そのようなことがなかったので、小学校に行きずらいということもありませんでした。

奇跡の補欠合格

1月に不合格の通知を受けてからも、なぜかあまりショックはありませんでした。小学校は3月の卒業式まで普通に授業はありますので、受験前と同じように通っていました。3月に、通う予定の公立中学校の制服の採寸にも行き、注文ていました。

3月中旬ごろ、受験した私立中学校から電話があり、「欠員がでたので、本校に来る意思はありますか?」と連絡があったのです!他の私立中学に行くことを決めた人がいたようで、私にも順番が回ってきたようでした。とても、とてもラッキーなことでした。

入学はできたが、学校トップからビリに

運もあり、補欠合格で入学できたのですが、入学して初めの授業までにやっておく宿題がありました。

本来1月に合格発表があり、入学手続きを行って約2カ月かけてやっておく宿題ですが、2週間しかない状態でした。入学手続き時に最後までできないと思うけれど、できるだけやってきてくださいと言われました。当然、最後までできることはなく、宿題ができていない状態で入学式を迎えました。

入学した県内1の進学校と言われていた私立中学では、入学試験の成績の順番でクラスが編成され、私は当然4クラス中の一番下のクラスになりました。小学校では周りの友達に教えていた立場から、ここでは一気に自分が一番下で追いついていかなければならない立場になりました。それだけレベルが全く違うということでした。

入学してみて、同級生にどんな子がいるか確認してみると、同じ小学校から一緒に受験した子が一人もいないことに気がつきました。同じ小学校から受験した同級生のみんなは、中学受験専門の塾に全員通っていました。なのに、結果的に自分だけが今ここにいるのです。ここまでは小さい頃から自分で勉強してきたことと、運も手伝ってこの場に立つことができたのです。今は自分が一番下だけど、これから頑張っていかないといけないと思いました。

成績はなかなか上がらず、1年生の終わりに、勉強の合宿に行くことになってしまいました。少し高い山の中、3月の下旬ではありますが、特に朝晩の冷え込みが厳しく、大広間で勉強するので暖房が効きにくく、湯たんぽを敷いて勉強していました。そのような試練も乗り越え、中学生の3年間で高校1年生までの勉強するので忙しいのですが、中学生の間は1つ上がって3番目のクラスにしか上がれなかったけれど、林間学校、臨海学校という行事もあり、楽しい中学生でそして、高校にそのまま進学できるのですが、ここで高校受験をして入学してくる子がいます。高校から入学する子は1年生の間は独自クラスで勉強し、2年生になると我々のクラスに合流し、同時に文系、理系クラスに分かれることになるのでした。ここで、小学校時代に一緒に中学受験した同級生と再会することになるのです。

人生
スポンサーリンク
シェアする
takoPをフォローする
タコPのお薬のお話、40代からの子育て。

コメント

タイトルとURLをコピーしました