こんにちは! 薬剤師のタコP🐙です。お薬のお話と40代から始まった3歳になる娘の子育てについて書いています。
通塾しないで県でトップの私立中学の受験に望んだ小学生時代と補欠合格で私立中学に合格できた中学生時代の話も子育ての参考になれば幸いです。
小学校の元同級生が入学、再びクラスメイトに
私は6年一貫の私立中学でしたので、そのまま高校に進学しました。2クラスほどですが、高校から入学できる枠もありました。高校から入学してきたクラスのドアに名簿が貼ってありました。順番に見ていくと…見覚えのある名前がありました。中学入試の時にこの学校を一緒に受験した友達が入学してきていたのです。驚きました。小学校時代から仲が良く、よく遊んでいた友達でした。
競争の激しい高校受験を勝ち抜いて入学してきた彼らは入学してからも忙しいのです。6年一貫の私立中学では、中学校3年間で校1までの勉強をするので、公立中学から入学してきた人は、高校1年の1年間で2年生までのカリキュラムを勉強しなければならないということで、内部進学の我々と比較して毎日1時間授業が長い時間割でした。1年生の間は彼と話をすることはありませんでした。
水疱瘡にかかる
高校1年生の時に私は水疱瘡にかかってしまいました。水疱瘡はほとんどの人は幼稚園までにはかかる病気ですが、運悪く?かかったことがなかったのです。現在であれば、水疱瘡の予防接種を小さい頃に受けますが、当時はありませんでした。年の離れた妹が水疱瘡にかかり、しばらくして自分も同じように体に無数の湿疹ができたため、自分もかかったとわかりましたが、小学校に入ったばかりの妹は数日部分的に湿疹が出て終わりだったのに対し、私は湿疹が体全体に広がり、高熱も出ました。病院にいったものの、かゆみ止めの点滴と塗り薬が出ただけでした。湿疹が完全になくなるまでに2週間もかかり、治ってからやっと学校に行くことができました。
このとき、当時の担任の先生が自宅に見舞いに来てくださいました。長期欠席することが確実だったため、様子を見に行くついでに授業の進捗状況を知らせに来てくださいました。
理系の道に導いてくれた担任の先生
高校2年生になるにあたって文系、理系のクラス分けになります。中学校入学時は国語が得意で、弁護士になりたいと思っていた私ですが、いつしか数学、理科の方が得意になっていました。しかし、理系のことは当時あまり考えたことがなかったため、先ほどの担任の先生が相談にのってくださいました。まだ20代の数学の先生で、理系クラスに入って、もし合わないようなら文系クラスに変わったらいいということで、理系に来るよう指導してくださいました。この先生の授業がとても面白く、数学への興味が湧いていたので、理系クラスに所属する決心がつきました。今現在の私があるのはこの先生の存在が一つの要因です。
小学校の元同級生との再会
2年生になり、理系クラスに所属し、理系クラスは4クラスありましたが、初めて2番目のクラスに昇格することができました。補欠合格で合格できたということもあり、最下位に近い状態から始まってここまで来ることができました。そして、高校から入学してきた小学校の同級生と同じクラスになったのです。彼は、受験の荒波に揉まれ、立派になっていました。彼と再会できたことはとても幸せなことでした。
大学入試センター試験を受験、そして…
3年生になり、また、一つ下のクラスになっていました。このころ、大学進学にあたって、学部をどうするか迷っていました。一番興味があった化学を学べる工学部の化学系にするのか、会社への依存度が低い資格の取れる学部、医療系学部にするのか、です。現在もそのようですが、いわゆる私立の進学校は開業医の家庭も多く、医学部に行くために入学している生徒も多いです。私の両親は医療職とは全く関係ありませんでしたので、こだわる必要はなかったのですが、自営業の家庭で育ったので、工学部を卒業してサラリーマンになるというイメージがしにくく、本当に工学部でいいのだろうかいう疑問を少し持っていました。
経済的理由により、私立大学は行くことができなかったため、国公立大学でなければなりません。国公立に行くためには、大学入試センター試験は必ず必要です。まず、センター試験でできるだけ高得点を取り、その後の選択肢を増やしておく必要があります。年が明け、センター試験がありました。センター試験は2日間あり、各日試験が終わると、その日の夜解答がラジオで公表され、自己採点をすることができます。または、翌日の新聞に解答が載っています。私はどうしても気になって1日目の分からラジオで答え合わせをしてしまいました。1日目の分は2日目の分と合わせて答え合わせするようにと言われていたにも関わらず。
2日目の分の自己採点が終わり、目標としていた点数に全く足りませんでした。ああ、これから志望校を変えることを考えなければ、と思いながら、寝床につきました。その翌朝、朝5時半ごろ、私はふと目が覚めました。この1年、受験生だったにもかかわらず、早朝から起きて勉強することはほとんどなかったのに、センター試験が終わった次の日に、起きてしまった。1月なので、まだまだ朝は寒いです。もう少し、寝ていよう、と思っていて、しばらくすると、とんでもない縦揺れの地震が起こったのです。阪神淡路大震災でした。この地震がとても大きなもので、たくさんの人が亡くなることになるとは思いませんでした。まさに、これから私の大学受験を予言するような出来事でした。
予備校時代に続く
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