私の工学部時代

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人生

こんにちは! 薬剤師のタコP🐙です。お薬のお話と40代から始まった3歳になる娘の子育てについて書いています。

現在、薬剤師として働いている私の大学時代の話です。私は、薬学部に入学する前に工学部に入学しています。大学に入りなおしたり、学部変更したりする人って結構、いらっしゃいますよね。私もその一人で私の場合は、医学部に未練がありました…。

入学後の厳しい現実

この頃は、将来のIT化をとても期待されていた時代で、私ももうすぐ来るであろうIT時代を見据えて国公立大学の情報工学科に入学しました。そこで、大学生としての生活を始めたのですが、入学後すぐのオリエンテーションで、

担当教授
担当教授

君たちは大企業を目指そうと思わないでくれ、
町工場でも就職するつもりでいてくれ

とさっそく釘を刺されてしまいました。プログラミングの知識が得られる情報工学科がある大学は、多くはありませんが、就職の際は専門学校もライバルになります。採用する企業からすれば、より若い人を採用できて、給料も安く抑えられる専門学校卒を採用するメリットは大いにあります。

また、プログラミングと関係なしに就職を考える場合は、電気工学を学んできた学生として扱われます。その場合も他大学のライバルは周りにたくさんおり、担当教授の言わんとするところは当然でした。就職氷河期と言われる時代になっていて、入学はしてみたものの、このまま卒業しても就職先があるのかどうか怪しく、かなり不利な状況であることを思い知らされたのでした。

今から思えば…。

しっかり勉強しないと思っているところには就職できませんよ、という激励だったのかもしれませんが、結果的には今の人生を選択してよかったと考えています。(後に工学部を中退して、薬学部に入りなおす選択をしました。)大企業で専門的なことをしたいと考えていた自分としては、大学で学んできたことと関係ある仕事ができたとしても、転職したいと思った時に同じ仕事をするのはほぼ不可能であり、キャリアアップができないため、当時の進路変更はやむを得なかったと考えています。

一般教養の講義を聴いて再受験に傾く

入学早々から将来の不安をあおる事象がありましたが、講義にはそのまま出席していました。大学1年生は一般教養といって専攻分野と直接関係ない分野の講義を選択して受けることができます。法律や経済学などこれから専門にしていくこととはおおよそ関係ないことを学ぶのが新鮮だったりします。その中で医科学という科目があり、選択していました。その講義を聞いて医療の業界の方が自分には合っているのではないかと考え出し始めました。

イメージの違い

C言語というものを使って簡単なプログラムを組むというプログラミングの実習もありました。教科書と課題が渡され、課題が終われば実習は終わりというものでした。教科書をめくりながら課題をこなしていくのですが、テキストに書いていることを、そのままやってもゴールにたどり着きません。ひと工夫もふた工夫もしなければ終わらせることができないのです。周りの人たちはどんどん終わって帰っていきます。大学に入学するまでにどこかで習ってきているのだろうかと思ってしまう速さです。(当時、そのようなことを、個人的に習って来れる所は、ほとんどなかったです。)C言語は言語なので、基本構文があって、その通りに文章を書いていき、間違っていると全く動きません。そのため文系色の強い分野なのだと感じました。この先卒業できるのかと不安になってきました。

大学受験勉強を本格的に始める

大学に入って初めての夏休みに入り、もし進路変更をするのであれば今しかないと考え、予備校の夏期講習に行きました。どこかでまだ大学受験に未練があり、国家資格の取れるところがいいと改めて感じました。そこからは時々大学にも行きながら、受験勉強に重きを置く生活が始まりました。

センター試験受験

年が明け、センター試験が始まりました。大学も通いながらなので、ほとんどセンター試験の勉強しかできない環境でしたが、この年はうまくいきそうな気がしました。そして、目標としていた点数が取れ、医学部に出願しました。今年こそは合格できるだろうと思ったのです。しかし、そうはいかなかったのです。合格できそうだったが、合格できるかもしれないと考えると緊張してしまい、個別試験では失敗してしまい、不合格だったのです。

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タコPのお薬のお話、40代からの子育て。

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